佐国、華を愛し、蝶となる事
或る人、円宗寺の八講と云ふ事に参りたりけるに、時待つ程やや久しかりければ、其のあたり近き人の家を借りて、且く立ち入りたりけるが、かくて其の家を見れば、作れる家のいと広くもあらぬ庭。前栽を、えも云はず木ども植ゑて、上に仮屋のかまへをしつつ、聊か水をかけたりけり。色々の花、数を尽して、錦を打ちおほへるが如く見えたり。殊にさまざまなる蝶、いくらともなく遊びあへり。
事ざまのありかたく覚えて、わざとあるじを呼び出でて、此の事を問へり。あるじの云ふ様、「是はなほざりの事にもあらず。思ふ心ありて植ゑて侍り。おのれは、佐国と申して人に知られたる博士の子にて侍り。彼の父、世に侍りし時、深く花を興じて、折りにつけて是を翫び侍りき。且は、其の心ざしをば詩にも作れり。『六十余国見れども、未だあかず。他生にも、定めて花を愛する人たらん』なんど作り置きて侍りつれば、おのづから生死の会執にもや罷り成りけん、と疑はしく侍りし程に、ある者の夢に、蝶に成って侍ると見たる由を語り侍れば、罪深く覚えて、しからば、若し、これらにもや迷ひ侍るらんとて、心の及ぶ程植ゑて侍るなり。其れにとりて、唯花ばかりは猶あかず侍れば、あまつら蜜なんどを朝ごとにそそき侍る」とぞ語りける。